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カップヌードルミュージアム

最近、子供達をどこにも連れて行ってないので、今日は、みなとみらいにあるカップヌードルミュージアムに行ってきました。

カップヌードルの歴史が展示されています。


子供達は、アトラクションが目当てです

ちょっと一息

展示コーナーを見学

第1の発明 「チキンラーメン」 (1958年)

大阪・池田市の自宅裏庭に建てた小屋で、“お湯があれば、家庭ですぐ食べられるラーメン”の開発を始めた安藤百福。1日平均4時間という短い睡眠時間で丸1年間、1日の休みもなく、たった1人で研究を続けました。さまざまな試行錯誤の末に誕生した「チキンラーメン」は《魔法のラーメン》と評判になり、またたく間に爆発的な人気を集めました。
人の集まる所はそれなりに疲れます

見学が終わると、カップヌードルが食べたくなります

帰りは5時でした。


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やっと走る事が出来た

7:25スタート。

20.0 km 2時間08分20秒 走りました 9.4 km/h (06'25 /km)

1月26日若潮マラソンでの失敗以来のランニング。

27日振りのランニングでした。

思ったより走れたけど、左股関節痛が10㎞あたりから出現。

フォームを変えたり、スピードを変えたりしてみたが、治まらなかった。

少し気になるが、走れないほどではないので頑張ってみましょう。

仕切直しですから、しばらくはLSD中心で走ってみます。

雪かき

午前中は雨、午後から雪かきでした。

そして、二週続けてのかまくら

窓からの景色

夜、8時、宿舎のベランダからの景色です。

20日振りラン

4.50 km 45分00秒 走りました 6.0 km/h (10'00 /km)

今日は大雪、交通の乱れも予想され、18時過ぎには職場を後にした。

新横浜駅に行くと、横浜線ホームはごった返し状態。ホームから人が溢れ、階段上まで列車を待つ列、列。

私は、運良く前から4列目に並ぶも、30分ほど待ったところで、電車が入線。

すでにかなりの遅延のため、電車内は超~満員。当然、前から4列目でも乗れませんでした。

この時点で、電車は諦め、歩いて帰ることにしました。さして職場まで道を戻り、どのコースで帰るか思案し、

よし、最短距離で帰ろうと決定。当然、その道は人は歩く道ではなく、とぼとぼ、10㎝は積もる雪の上を歩きました。

その内、誰もいないなら、なりふり構わず走ろうということになって、積雪の中、雪降る中、懸命に走りました。

なんと、1月26日以来、20日振りのラン。

スーツと革靴、カバン、傘を差しながら走る走る。

感動しました。写真がないのが残念。

険しい登りも、下りも、全く滑ることなく、よく走れたと自分自身を褒めてあげたいです。

これをきっかけに、雪が解けたら走ろうと思います。

状況一変

午後3時の画像です。
雪が降り続き、着雪してます。

昼の雪

12時の雪です。朝と同じ場所から撮ってみましたが、あまり積雪はありません。

雪です


職場から見た朝、8時の景色です。
今後、夜まで降り続く予報です。

かまくら

9日の大雪の時、近所の子供達で作ったかまくらがまだ溶けずに残ってました。

雪だるまも残ってました。

朝食


せんべい汁、けの汁、オムレツ、津軽漬などなど、食べました。

朝はリンゴ露天風呂

5時半に目が覚め、早速、露天風呂へ。
何と30個ぐらいのリンゴが浮かんでました。(写真なし)
外は、うっすら雪化粧。

朝刊に雪灯籠祭りの記事が載ってました。

今日は出張です

雪の降る横浜を後に、やってきたのは弘前です!


岩木山です!

16時まで仕事
その後、

弘前城を観光。たまたま雪灯籠まつり初日でした


そして、弘前の鍛治町に、
杏という店で、三味線のライブを堪能しました!ライブは初めてでした。
情念を感じる三味線です。

感動でした。
ホテルに帰り、最上階で露天風呂に入り、風呂上がりにラーメン

ミニラーメンでした。
弘前もなかなか良い街でした。

今日は誕生日です

写真のみ、想像して下さい!

命日

今日、2月3日は父正兄が亡くなって丁度丸2年となります。
釧路北病院から岩手花巻のイーハトーブ病院に転院したのが平成23年12月13日(火)でした。釧路から飛行機で羽田へ。飛行機に乗っている間は、とても落ち着かず、常に手を上下に動かし興奮していました。そして、羽田から私の宿舎に行き、一休み後、車でイーハトーブ病院へ向かったのでした。車の中でも父の興奮状態が続き、目を閉じて休むという状態ではありませんでした。
到着した病院は、とてもきれいといえる病院ではなく、老人病院特有のものがありました。冬だったこともあり、雪も積もっていて、窓から見える景色も雪国そのものでしたから、父も寂しくないのかなと勝手に思っていました。医師から言われたのは、延命措置は出来ませんが、よろしいですねということでした。
転院後は、年末の29日に病院に立ち寄って青森の実家で年末年始を過ごしました。明けて平成24年1月20日、イーハトーブ病院から父の様態が悪化したとの連絡が入り急遽、花巻へ向かいました。僅か1ヶ月でこんなに変わるかというほど、呼吸困難の状態でした。2泊して22日の日曜日に横浜に戻りましたが、危険な状態だと認識はしていました。
そして、1月30日(月)病院から再度連絡が入り、いつどうなるか分からない状態だと聞かされました。1月30日夜から病院に向かい、31日から家族で付き添うことになりました。今日か明日か、そんな日々が続きました。毎晩泊まる宿もその日暮らしで、近くの温泉宿(近くには温泉宿しかない)に日替わりで宿泊した次第でした。
父の呼吸状態は日に日に悪化しており、それでも最後の時まで必死に頑張っていました。私は心の中で、もう頑張らなくて良いよと叫んでいました。
そして運命の日、2月3日を迎えるのでした。我々家族も疲れてはいました。数日間におよぶ付き添いと、いざという時の喪服の用意などもあり、妹と姪は、今日いったん川崎の自宅に帰ることになりました。16時くらいの新幹線に乗れるよう新花巻の駅まで送っていきましたが、その帰り道、私の携帯に病院から電話連絡がありました。「すぐ来て下さい」「いま向かっています」急いで病院に戻りましたが、心電図はかすかに動いているものの、すでに亡くなっている状態でした。最期の時に看取れなかったという思いが去来しました。2月3日(金)午後5時20分臨終。
遺体は病院に安置出来ないとのことでしたので、急遽、安置と搬送だけを頼める盛岡の葬儀業者を探して手配し、後は父の持ち物などを整理して、今日のこの日、2月3日は過ぎていきました。

打ち上げ

いままで行ったことがない、インターコンチネンタルの30階で、懇親会でした。

都会は、綺麗過ぎる!

今日は仕事です

パシフィコ横浜で、日本救急医学会関東地方会のお手伝いです。
本部事務局に詰めています。

ここが事務局です

窓から見える景色です。
プロフィール

ken

Author:ken
年も年なので無理しないように、走っています。
歩かない、諦めない、唾を吐かない、感謝の気持ちを忘れない。


【自己ベスト】ネットタイム
■10㎞
 45分36秒 H19.10.7 
 とわだ駒街道マラソン
 (非公認)
 45分05秒 H28.3.13
   鳥取マラソン
■ハーフ
 1時間39分39秒 H28.11.6
 清川やまびこマラソン
 
(非公認)
  1時間36分32秒 H28.3.13
  鳥取マラソン
■30㎞
 2時間37分29秒 H21.7.26
 釧路湿原マラソン
(非公認)
 2時間19分02秒 H28.3.13
 鳥取マラソン

■フル
 3時間21分35秒 H28.03.13
  鳥取マラソン

■ウルトラ
 10時間23分7秒 H30.10.21
  四万十川ウルトラマラソン

【2023結果】
■ハーフマラソン
 
■トレイルラン
 
■フルマラソン
愛媛マラソン R5.2.12
3時間55分36秒

■ウルトラマラソン
 えびすだいこくウルトラ100kmマラソン R5.5.28
 12時間22分36秒

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