丹後ウルトラマラソン完走記【後半】
丹後ウルトラ、後半編です。
そういえば、42.195㎞の手前で兵庫から参加している方に声をかけられました。どこからですかと聞かれ、神奈川県横浜市からですと答えると遠くからの参加お疲れさまですと労っていただきました。
その後も少しおしゃべり。その方はなんと、65歳とのこと。普段はフルマラソンメインで走られているそうで、丹後は2度目とのことでした。
体調どうですかと聞かれて、実は吐き気がして気持ちが悪いんですよと話すと、去年も坂の上で吐かれている方がいましたよとのこと。う〜ん、ここで吐いたら脱水になると思い、吐くことだけは我慢、我慢でした。
この42.195㎞地点では、フルマラソンの距離かぁなんていう思いは不思議とありませんでした。
吐き気以外は、体の不調はなし。心配だったアキレス腱痛もなく、脚が攣ることもありませんでした。実は、16日に丸亀でTH2さんと朝ランした際、各エイドごとのストレッチが大切という話を聞いて、20キロ以降は、エイドごとに軽いストレッチを行うよう心がけました。
ストレッチの時間は、それぞれ15秒から30秒くらいでしたが、コマ目に行ったお陰で体へのダメージは緩和されたのかもしれません。

43.5キロ地点、浅茂川漁港のエイドでうどん食べて、高校生にふくらはぎをマッサージしてもらい、ストレッチを長めに行いました。そして後にも先にもただ1回のトイレへ。私の場合、走りだすとトイレに行かない体質なんです(笑)
それにしても気持ちが悪い。湿度のせいもあり、エイドごとにスポドリ、水を各1杯飲んでましたし、食べ過ぎてもいました。口の中がさっぱりするということで、オレンジも取り過ぎていました。私、胃腸は丈夫な方なのですが、水分の過剰摂取かなぁ。
吐き気は強くなり、次のエイドでも、その次の丹後王国前でのエイドでも固形物が摂取できなくなっていました。
それでも水分は取ってしまいます。何か他にも口に入れなければと思い、梅干を1つ。50キロを過ぎたところで、さらにペースダウン。このままで完走できるだろうかという思いが駆け巡りました。
たしか、丹後食のみやこと、弥栄庁舎の間に、ぐわぁTの応援エイドを設置するということをTHさんから聞いていました。とにかく応援エイドまで行って、牛丼を食べないと完走できないという思いが強かったです。
大きく深呼吸を繰り返しながらのラン・・・・
すると遠くに黄色いものが見えてきました。はっきり見えたわけではないのですが、応援エイドの目印であるぐわぁTであることは確信できました。

間違いない。何故かほっとしました。ここで52、3キロ地点かな。

THさんの顔を見た瞬間、元気をいただきました。そして応援エイドのみなさんから労っていただき力が湧きました。
THさんから、牛丼食べますかと訊ねられましたが、「ごめんなさい、気持ち悪くて食べられないんです」・・・
そしたら、かおりんさんが、良かったらこの漢方(胃腸薬)飲みますか、効きますよ〜10キロぐらい走ったころで効果があるって聞こえました(笑)

THさん、なかなか可愛らしいです(笑)何を着ても似合う男前ですね〜

応援エイドで薬をいただき、ミニトマ2個、レモン2切れいただきました。

THさん、ありがとうございます。

子供たちが牛丼をいただきご馳走様でした。とっても美味しかったと言ってましたよ。カジさんも一緒だったんですね〜家族も会えてよかったと言ってました(ここでの出来事は後で聞くことになったのですが)。

よ〜し、ここから仕切り直し。気持ちを切り替えてと思いましたが、すぐには吐き気は治まりません。我慢しながらの走りが続きました。
次の弥栄庁舎は、53.9キロ地点のエイドで着替えることができます。


しかし、私は碇高原に着替えを預けたので、このエイドでは水分休憩とストレッチだけ。
ここで着替えればよかったと少し後悔しました。
名物のばら寿司がありましたが、残念ながら食べれません。結局、この後も碇高原まで固形物は摂取できませんでした。

応援エイドから約7キロぐらい進んだ60キロあたりで、薬の効果でしょう〜嘔吐が治まってきました(おぉ〜)。
それでも、お腹が苦しい・・・そう、ウエストポーチを目一杯で締め付けていたせいでお腹かが苦しかったのに気付きました。
早速、ウエストポーチを外して襷掛けで走りました。すると少しずつ楽になって来るではないですか。ベルトの締め具合が全てではないと思いますが、一つの要因だったのかなぁなんて思います。
碇高原までの登りは、歩きに徹しました、というより走れませんでした。
私には走る際のモットーが4つあります。
一つ、歩かない。
二つ、諦めない。
三つ、唾を吐かない。
四つ、感謝の気持ちを忘れない。
しかし、ここでは走れませんでした。
そして、歩き続けていると、アキレス腱に負担がかかるのか、とうとうアキレス腱の痛みが襲ってきました!
これはまずいということで、約2キロほど坂道を狭い歩幅で小走り。これって結構楽に感じたのですが、長続きせず、また歩きます。
そのうち、頭がふらついてきました。ふらついているのか、めまいなのか一瞬分からなくなりましたが、これは睡魔だと気づきました。
だって昨日は9時間の長距離運転のあとなかなか寝付けず、結局、睡眠時間は2時間未満という状態でレースを走っているのだから眠いのも当然ですね。
しばらくは歩きながら、目を閉じたり、ため息ついたり、全くピッチが上がらず。抜かれまくり・・・・
70キロ地点。碇高原まであと2キロぐらい。だんだんと寒くなってきました。

前を行くランナーもほとんどは歩きです。

霧も濃くなってきました。エイドまでもう少しと思ったら、少し走る元気が出てきました。

係りの方が、エイド手前、ハンドマイクでゼッケン番号を読み上げます。エイドに到着したと同時に着替え袋を渡せるように配慮されていました。おかげでスムースに荷物を受け取り、着替えテントに向かいました。
着替えは、ぐわぁT、シューズ、ソックスです。あらかじめ着替用のTシャツにはゼッケンを留めた上で預けていたので、容易に着替えられるはずなんですが、体と腕がうまく使えず、背中の途中でTシャツが包まって下に降ろせません。
腕が攣りそうになりながら、ようやく下まで降ろせたと思ったら、胸のゼッケンと安全ピンが外れ、イライラ・・・
雨もあがっているのでソックス、シューズも履き替えてリフレッシュします。ここまで、汗がシューズ内に入り込みグショグショでしたので足裏がふやけていないか心配でしたが、全くきれいでした。さすがメリノウールのソックス、不快感はありません。履き替えるのをためらいましたが、雨も降りそうにないので新鮮な気分でスタートしようと履き替えました。ソックスが窮屈で履き替えるのに時間を要しました。シューズは多少穴が開いていますが履きなれたライトレーサーです。
しかし、計測チップを付け直さなければならず、イライラ・・・
結局、着替えに10分以上もかかりました。
エイドでは、マッサージの順番待ちができていました。順番待ちしようかなぁとも思いましたが時間がもったいないのでスルーすることに。着替えた荷物を預けて出発しようと思ったところに、現れたのは、なんと、し〜やんさんでした(驚)
正直、七竜峠を歩いていた状態からここまで復活したのだから、精神力も凄い。
こちらまで触発され、元気と勇気をもらいました。
復活したんだぁと思って声をかけたところ、走ると脚が攣るので登りを歩き通してここまでやって来たとのこと、もの凄い気力です。
し〜やんさん、エイドもそこそこにスタート。私は、ここが自分自身に対する正念場と思い、あんぱんを食べエネルギー補給です。
ここから約10キロを下ります。
実は、ひろしさんから、碇高原の下りは気を付けるようにアドバイスをもらっていました。勢いつけ過ぎて下ると、後半に脚が持たないよと。
その点を頭に入れながら、体が後傾にならないように、かといってスピードが出過ぎないようにフォームに気を付けながら、そこそこのスピードで下っていきました。
登りは抜かれまくりも、下りは抜かれることなく走れました。でも多少は無理したと思います。最後、脚が動かなかったから(笑)
もう一つ不思議なのは、アキレス腱痛が気にならなかったこと・・・・(笑)
写真も撮らず、一番集中したところです。し〜やんさんの背中は見えませんでしたが、追いかけようという目標を持てたことが大きかったと思います。漫然と走っていたらそれなりだったと思います。
気か付くと80キロ地点を通過。このあたりから雨が降り出してきました。
時折、雨脚が強くなります。
80キロを超えたことで一安心、TH2さんの応援ランの距離を越えられたぁと、正直ホッとしました。というのも、TH2さんの応援ランに満たないところで潰れるわけにはいかないという思いもありました(笑)
もくもくと走っていると、THさん登場です。ゴールに向かっての移動中でした。大きな声で応援いただき、またもや力をもらいました。

90キロ手前にある「道の駅 てんきてんき丹後」近くに来たところ・・・・
それまでどこに行ったか消息の分からなかった、我が家の応援団が現れました。結構、サプライズでしたね。

雨の中の応援、ありがとう!

正直、救われましたね。

僅か50メートル位でしたが、伴走してくれて心が和みました。


さぁ90キロ地点です。ここまで来ると、もうすぐで終わってしまうという淋しさが去来してきました。決して余裕はありませんでしたが、雨もなんのその、気力は充実していました。
しかし、肉体的には、アキレス腱周囲の痛みが周期的に襲ってきていました。

前を向いて進んでいると・・・・
し〜やんさんです。追いついたというより、また会えたという気持ち。ウルトラは何と摩訶不思議な競技なんでしょう。

同じスタート位置で100キロをスタートし、途中で出会ったことも確率的には極めて低いのに、最後の最後、あと残り10キロで再会し、並走するなんて想像だにしていませんでした。
私が追いついたことに、し〜やんさんも特に驚きもせず、二人で淡々と走ります。
ここからは、丹後を何度も走っているし〜やんさんのアドバイスが助かりました。

しかし残り10キロをず〜と並走したわけではありません。二人ともそれぞれダメージを抱えていました。
し〜やんさんは、坂道が辛そう、頑張ってしまうと脚が攣りそうになるということで、その時は私が先を行きます。一方、私はアキレス腱の周囲が痛く、平地ロードでスピードが上がらずし〜やんさんに先に行ってもらう。こんなことが残り1キロまで2度、3度と繰り返されました。もちろん背中が見えなくなることも。

しかし、また両者並走することも。し〜やんさんからは、12時間は確実に切れるとの言葉。実は私的にはあまり時計を気にしていなく、計算もしていなかったのですが、その言葉がまた力になりました。よし、頑張ろうと!
ここからはカウントダウンです。



とうとうやってきました、残り1キロ地点です。

ここからはゴールまで並走です。ゴール手前で、チームぐわぁTのメンバーに気付きました。感謝です。かおりんさん、あなたから頂いた薬のおかげで頑張れました。

し〜やんさんに手をつないでゴールしようと言われ、二人で万歳ゴールでした。
![IMG_0135[2]](http://blog-imgs-96.fc2.com/k/0/2/k02070920y/20160921191857e48.jpg)
![IMG_0136[2]](http://blog-imgs-96.fc2.com/k/0/2/k02070920y/20160921192255ab8.jpg)
![IMG_0138[2]](http://blog-imgs-96.fc2.com/k/0/2/k02070920y/20160921192448db4.jpg)
言葉がありません。
自分が100キロを走り切れるなんて・・・想像を超えていました。
ゴール後は100キロを走ったという実感が湧かないまま、フワフワ気分でした。ただ終わったんだ、完走したんだぁという想い。
それと感謝の気持ちです。
一人で100キロなんて到底走ろうと思わない。走らせていただいている感謝の気持ちと、一緒に走る仲間がいたからこその完走でした。そして、今回も沿道のみなさんに、ありがとうございます!と感謝の言葉を言い続けて走ることが出来ました。
口では諦めるなと簡単に言えますが、し〜やんさん、あなたには本当に諦めない気持ちを教えてもらいました。来年は必ずリベンジできます。
TH2さんの応援ランも励みになりました。THさんはじめ、チームぐわぁTの皆様にも助けられました。
雨の中、ゴール直前の体育館横で応援してくれた、ひろしさんご夫婦にも感謝です。
月並みですが、家族にも感謝。
一方で、完走できなかった仲間の悔しさにも共感します。結果は紙一重です。
そんな想いの詰まった100キロレースが11時間52分28秒で終わりを告げました。

2016年歴史街道丹後100㎞ウルトラマラソンの完走率、並びにコンディションです。気温、雨量は場所によって異なりますが、厳しいコンディションだったと思います。

そしてレースが終わり、小天橋の旅館に宿泊です。
疲れを癒すため、私自身へのご褒美で決めてしまいました(笑)
24時間、入浴し放題の露天風呂付客室です!

夕食はまともに食べれず、9時過ぎには就寝しましたが、起きている時間は風呂三昧。

終わりは始まり・・・・、来年に向かって頑張ります!

ありがとう・・・・丹後。
そういえば、42.195㎞の手前で兵庫から参加している方に声をかけられました。どこからですかと聞かれ、神奈川県横浜市からですと答えると遠くからの参加お疲れさまですと労っていただきました。
その後も少しおしゃべり。その方はなんと、65歳とのこと。普段はフルマラソンメインで走られているそうで、丹後は2度目とのことでした。
体調どうですかと聞かれて、実は吐き気がして気持ちが悪いんですよと話すと、去年も坂の上で吐かれている方がいましたよとのこと。う〜ん、ここで吐いたら脱水になると思い、吐くことだけは我慢、我慢でした。
この42.195㎞地点では、フルマラソンの距離かぁなんていう思いは不思議とありませんでした。
吐き気以外は、体の不調はなし。心配だったアキレス腱痛もなく、脚が攣ることもありませんでした。実は、16日に丸亀でTH2さんと朝ランした際、各エイドごとのストレッチが大切という話を聞いて、20キロ以降は、エイドごとに軽いストレッチを行うよう心がけました。
ストレッチの時間は、それぞれ15秒から30秒くらいでしたが、コマ目に行ったお陰で体へのダメージは緩和されたのかもしれません。

43.5キロ地点、浅茂川漁港のエイドでうどん食べて、高校生にふくらはぎをマッサージしてもらい、ストレッチを長めに行いました。そして後にも先にもただ1回のトイレへ。私の場合、走りだすとトイレに行かない体質なんです(笑)
それにしても気持ちが悪い。湿度のせいもあり、エイドごとにスポドリ、水を各1杯飲んでましたし、食べ過ぎてもいました。口の中がさっぱりするということで、オレンジも取り過ぎていました。私、胃腸は丈夫な方なのですが、水分の過剰摂取かなぁ。
吐き気は強くなり、次のエイドでも、その次の丹後王国前でのエイドでも固形物が摂取できなくなっていました。
それでも水分は取ってしまいます。何か他にも口に入れなければと思い、梅干を1つ。50キロを過ぎたところで、さらにペースダウン。このままで完走できるだろうかという思いが駆け巡りました。
たしか、丹後食のみやこと、弥栄庁舎の間に、ぐわぁTの応援エイドを設置するということをTHさんから聞いていました。とにかく応援エイドまで行って、牛丼を食べないと完走できないという思いが強かったです。
大きく深呼吸を繰り返しながらのラン・・・・
すると遠くに黄色いものが見えてきました。はっきり見えたわけではないのですが、応援エイドの目印であるぐわぁTであることは確信できました。

間違いない。何故かほっとしました。ここで52、3キロ地点かな。

THさんの顔を見た瞬間、元気をいただきました。そして応援エイドのみなさんから労っていただき力が湧きました。
THさんから、牛丼食べますかと訊ねられましたが、「ごめんなさい、気持ち悪くて食べられないんです」・・・
そしたら、かおりんさんが、良かったらこの漢方(胃腸薬)飲みますか、効きますよ〜10キロぐらい走ったころで効果があるって聞こえました(笑)

THさん、なかなか可愛らしいです(笑)何を着ても似合う男前ですね〜

応援エイドで薬をいただき、ミニトマ2個、レモン2切れいただきました。

THさん、ありがとうございます。

子供たちが牛丼をいただきご馳走様でした。とっても美味しかったと言ってましたよ。カジさんも一緒だったんですね〜家族も会えてよかったと言ってました(ここでの出来事は後で聞くことになったのですが)。

よ〜し、ここから仕切り直し。気持ちを切り替えてと思いましたが、すぐには吐き気は治まりません。我慢しながらの走りが続きました。
次の弥栄庁舎は、53.9キロ地点のエイドで着替えることができます。


しかし、私は碇高原に着替えを預けたので、このエイドでは水分休憩とストレッチだけ。
ここで着替えればよかったと少し後悔しました。
名物のばら寿司がありましたが、残念ながら食べれません。結局、この後も碇高原まで固形物は摂取できませんでした。

応援エイドから約7キロぐらい進んだ60キロあたりで、薬の効果でしょう〜嘔吐が治まってきました(おぉ〜)。
それでも、お腹が苦しい・・・そう、ウエストポーチを目一杯で締め付けていたせいでお腹かが苦しかったのに気付きました。
早速、ウエストポーチを外して襷掛けで走りました。すると少しずつ楽になって来るではないですか。ベルトの締め具合が全てではないと思いますが、一つの要因だったのかなぁなんて思います。
碇高原までの登りは、歩きに徹しました、というより走れませんでした。
私には走る際のモットーが4つあります。
一つ、歩かない。
二つ、諦めない。
三つ、唾を吐かない。
四つ、感謝の気持ちを忘れない。
しかし、ここでは走れませんでした。
そして、歩き続けていると、アキレス腱に負担がかかるのか、とうとうアキレス腱の痛みが襲ってきました!
これはまずいということで、約2キロほど坂道を狭い歩幅で小走り。これって結構楽に感じたのですが、長続きせず、また歩きます。
そのうち、頭がふらついてきました。ふらついているのか、めまいなのか一瞬分からなくなりましたが、これは睡魔だと気づきました。
だって昨日は9時間の長距離運転のあとなかなか寝付けず、結局、睡眠時間は2時間未満という状態でレースを走っているのだから眠いのも当然ですね。
しばらくは歩きながら、目を閉じたり、ため息ついたり、全くピッチが上がらず。抜かれまくり・・・・
70キロ地点。碇高原まであと2キロぐらい。だんだんと寒くなってきました。

前を行くランナーもほとんどは歩きです。

霧も濃くなってきました。エイドまでもう少しと思ったら、少し走る元気が出てきました。

係りの方が、エイド手前、ハンドマイクでゼッケン番号を読み上げます。エイドに到着したと同時に着替え袋を渡せるように配慮されていました。おかげでスムースに荷物を受け取り、着替えテントに向かいました。
着替えは、ぐわぁT、シューズ、ソックスです。あらかじめ着替用のTシャツにはゼッケンを留めた上で預けていたので、容易に着替えられるはずなんですが、体と腕がうまく使えず、背中の途中でTシャツが包まって下に降ろせません。
腕が攣りそうになりながら、ようやく下まで降ろせたと思ったら、胸のゼッケンと安全ピンが外れ、イライラ・・・
雨もあがっているのでソックス、シューズも履き替えてリフレッシュします。ここまで、汗がシューズ内に入り込みグショグショでしたので足裏がふやけていないか心配でしたが、全くきれいでした。さすがメリノウールのソックス、不快感はありません。履き替えるのをためらいましたが、雨も降りそうにないので新鮮な気分でスタートしようと履き替えました。ソックスが窮屈で履き替えるのに時間を要しました。シューズは多少穴が開いていますが履きなれたライトレーサーです。
しかし、計測チップを付け直さなければならず、イライラ・・・
結局、着替えに10分以上もかかりました。
エイドでは、マッサージの順番待ちができていました。順番待ちしようかなぁとも思いましたが時間がもったいないのでスルーすることに。着替えた荷物を預けて出発しようと思ったところに、現れたのは、なんと、し〜やんさんでした(驚)
正直、七竜峠を歩いていた状態からここまで復活したのだから、精神力も凄い。
こちらまで触発され、元気と勇気をもらいました。
復活したんだぁと思って声をかけたところ、走ると脚が攣るので登りを歩き通してここまでやって来たとのこと、もの凄い気力です。
し〜やんさん、エイドもそこそこにスタート。私は、ここが自分自身に対する正念場と思い、あんぱんを食べエネルギー補給です。
ここから約10キロを下ります。
実は、ひろしさんから、碇高原の下りは気を付けるようにアドバイスをもらっていました。勢いつけ過ぎて下ると、後半に脚が持たないよと。
その点を頭に入れながら、体が後傾にならないように、かといってスピードが出過ぎないようにフォームに気を付けながら、そこそこのスピードで下っていきました。
登りは抜かれまくりも、下りは抜かれることなく走れました。でも多少は無理したと思います。最後、脚が動かなかったから(笑)
もう一つ不思議なのは、アキレス腱痛が気にならなかったこと・・・・(笑)
写真も撮らず、一番集中したところです。し〜やんさんの背中は見えませんでしたが、追いかけようという目標を持てたことが大きかったと思います。漫然と走っていたらそれなりだったと思います。
気か付くと80キロ地点を通過。このあたりから雨が降り出してきました。
時折、雨脚が強くなります。
80キロを超えたことで一安心、TH2さんの応援ランの距離を越えられたぁと、正直ホッとしました。というのも、TH2さんの応援ランに満たないところで潰れるわけにはいかないという思いもありました(笑)
もくもくと走っていると、THさん登場です。ゴールに向かっての移動中でした。大きな声で応援いただき、またもや力をもらいました。

90キロ手前にある「道の駅 てんきてんき丹後」近くに来たところ・・・・
それまでどこに行ったか消息の分からなかった、我が家の応援団が現れました。結構、サプライズでしたね。

雨の中の応援、ありがとう!

正直、救われましたね。

僅か50メートル位でしたが、伴走してくれて心が和みました。


さぁ90キロ地点です。ここまで来ると、もうすぐで終わってしまうという淋しさが去来してきました。決して余裕はありませんでしたが、雨もなんのその、気力は充実していました。
しかし、肉体的には、アキレス腱周囲の痛みが周期的に襲ってきていました。

前を向いて進んでいると・・・・
し〜やんさんです。追いついたというより、また会えたという気持ち。ウルトラは何と摩訶不思議な競技なんでしょう。

同じスタート位置で100キロをスタートし、途中で出会ったことも確率的には極めて低いのに、最後の最後、あと残り10キロで再会し、並走するなんて想像だにしていませんでした。
私が追いついたことに、し〜やんさんも特に驚きもせず、二人で淡々と走ります。
ここからは、丹後を何度も走っているし〜やんさんのアドバイスが助かりました。

しかし残り10キロをず〜と並走したわけではありません。二人ともそれぞれダメージを抱えていました。
し〜やんさんは、坂道が辛そう、頑張ってしまうと脚が攣りそうになるということで、その時は私が先を行きます。一方、私はアキレス腱の周囲が痛く、平地ロードでスピードが上がらずし〜やんさんに先に行ってもらう。こんなことが残り1キロまで2度、3度と繰り返されました。もちろん背中が見えなくなることも。

しかし、また両者並走することも。し〜やんさんからは、12時間は確実に切れるとの言葉。実は私的にはあまり時計を気にしていなく、計算もしていなかったのですが、その言葉がまた力になりました。よし、頑張ろうと!
ここからはカウントダウンです。



とうとうやってきました、残り1キロ地点です。

ここからはゴールまで並走です。ゴール手前で、チームぐわぁTのメンバーに気付きました。感謝です。かおりんさん、あなたから頂いた薬のおかげで頑張れました。

し〜やんさんに手をつないでゴールしようと言われ、二人で万歳ゴールでした。
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言葉がありません。
自分が100キロを走り切れるなんて・・・想像を超えていました。
ゴール後は100キロを走ったという実感が湧かないまま、フワフワ気分でした。ただ終わったんだ、完走したんだぁという想い。
それと感謝の気持ちです。
一人で100キロなんて到底走ろうと思わない。走らせていただいている感謝の気持ちと、一緒に走る仲間がいたからこその完走でした。そして、今回も沿道のみなさんに、ありがとうございます!と感謝の言葉を言い続けて走ることが出来ました。
口では諦めるなと簡単に言えますが、し〜やんさん、あなたには本当に諦めない気持ちを教えてもらいました。来年は必ずリベンジできます。
TH2さんの応援ランも励みになりました。THさんはじめ、チームぐわぁTの皆様にも助けられました。
雨の中、ゴール直前の体育館横で応援してくれた、ひろしさんご夫婦にも感謝です。
月並みですが、家族にも感謝。
一方で、完走できなかった仲間の悔しさにも共感します。結果は紙一重です。
そんな想いの詰まった100キロレースが11時間52分28秒で終わりを告げました。

2016年歴史街道丹後100㎞ウルトラマラソンの完走率、並びにコンディションです。気温、雨量は場所によって異なりますが、厳しいコンディションだったと思います。

そしてレースが終わり、小天橋の旅館に宿泊です。
疲れを癒すため、私自身へのご褒美で決めてしまいました(笑)
24時間、入浴し放題の露天風呂付客室です!

夕食はまともに食べれず、9時過ぎには就寝しましたが、起きている時間は風呂三昧。

終わりは始まり・・・・、来年に向かって頑張ります!

ありがとう・・・・丹後。
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