雄別炭鉱のこと・・・・
私が釧路支店に勤務していた当時、何度も足を運んだところがあります。
道の駅 「阿寒丹頂の里」近くにある「炭砿と鉄道館」と阿寒・布伏内(ふぶしない)にあったラーメン店「真澄」です。
「炭砿と鉄道館」には、半世紀にわたる雄別の炭鉱と鉄道の歴史に関しての資料などが展示されており、他にも当時走っていたSLや実際に使われていた道具類が小さなスペースですが紹介されています。私はこの展示品を見ては、何か惹かれるものを感じていました。
もう一つの場所「真澄」は、特に塩ラーメンが有名でアンデス岩塩とか瀬戸ほんじおなどを使用した数種類の塩ラーメンがありました。周囲には民家も無く、秘境ラーメンとしても有名でした。その「真澄」は、旧雄別炭鉱のその地で営業していたのでした。
そのことがきっかけで、雄別炭鉱の存在を知り、いろいろ調べては当時の風景に思いを馳せていました。転勤が続き、忘れ去っていたのですが、ふとしたことから「雄別炭鉱観光ガイド(前編)(後編)」のことを知りました。
勤務した釧路支店は、昭和35年1月に開設していますが、支店の建つ釧路市中園町は、旧釧路市と合併した鳥取町の中でも特に辺鄙な地域で、古くから畑作を営々とやっていた農家が数軒点在していた処。釧路支店の裏手には当時雄別炭鉱と釧路港を結ぶ鉄道があり、そこが中園駅だったわけです。
今から45年前、炭鉱の廃山とともに駅も廃止となったわけですが、日本全国にはこのように廃山となった炭鉱の歴史はたくさんあります。
雄別はじめ三井三池炭鉱、夕張炭鉱など、そこで働く労働者やその家族の生活は、国策に大きく振り回されてきた歴史があります。
当時、炭鉱では、落盤や一酸化炭素中毒などの労働災害が頻発していたため、我が社の多くの支店もその近くに設置された経緯があります。
釧路支店時代の1つの思い出です。
雄別炭鉱観光ガイド
(前編)
(後編)
当時の雄別を紹介しているホームページです。
「雄別の歴史」
道の駅 「阿寒丹頂の里」近くにある「炭砿と鉄道館」と阿寒・布伏内(ふぶしない)にあったラーメン店「真澄」です。
「炭砿と鉄道館」には、半世紀にわたる雄別の炭鉱と鉄道の歴史に関しての資料などが展示されており、他にも当時走っていたSLや実際に使われていた道具類が小さなスペースですが紹介されています。私はこの展示品を見ては、何か惹かれるものを感じていました。
もう一つの場所「真澄」は、特に塩ラーメンが有名でアンデス岩塩とか瀬戸ほんじおなどを使用した数種類の塩ラーメンがありました。周囲には民家も無く、秘境ラーメンとしても有名でした。その「真澄」は、旧雄別炭鉱のその地で営業していたのでした。
そのことがきっかけで、雄別炭鉱の存在を知り、いろいろ調べては当時の風景に思いを馳せていました。転勤が続き、忘れ去っていたのですが、ふとしたことから「雄別炭鉱観光ガイド(前編)(後編)」のことを知りました。
勤務した釧路支店は、昭和35年1月に開設していますが、支店の建つ釧路市中園町は、旧釧路市と合併した鳥取町の中でも特に辺鄙な地域で、古くから畑作を営々とやっていた農家が数軒点在していた処。釧路支店の裏手には当時雄別炭鉱と釧路港を結ぶ鉄道があり、そこが中園駅だったわけです。
今から45年前、炭鉱の廃山とともに駅も廃止となったわけですが、日本全国にはこのように廃山となった炭鉱の歴史はたくさんあります。
雄別はじめ三井三池炭鉱、夕張炭鉱など、そこで働く労働者やその家族の生活は、国策に大きく振り回されてきた歴史があります。
当時、炭鉱では、落盤や一酸化炭素中毒などの労働災害が頻発していたため、我が社の多くの支店もその近くに設置された経緯があります。
釧路支店時代の1つの思い出です。
雄別炭鉱観光ガイド
(前編)
(後編)
当時の雄別を紹介しているホームページです。
「雄別の歴史」
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