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命日

今日、2月3日は父正兄が亡くなって丁度丸2年となります。
釧路北病院から岩手花巻のイーハトーブ病院に転院したのが平成23年12月13日(火)でした。釧路から飛行機で羽田へ。飛行機に乗っている間は、とても落ち着かず、常に手を上下に動かし興奮していました。そして、羽田から私の宿舎に行き、一休み後、車でイーハトーブ病院へ向かったのでした。車の中でも父の興奮状態が続き、目を閉じて休むという状態ではありませんでした。
到着した病院は、とてもきれいといえる病院ではなく、老人病院特有のものがありました。冬だったこともあり、雪も積もっていて、窓から見える景色も雪国そのものでしたから、父も寂しくないのかなと勝手に思っていました。医師から言われたのは、延命措置は出来ませんが、よろしいですねということでした。
転院後は、年末の29日に病院に立ち寄って青森の実家で年末年始を過ごしました。明けて平成24年1月20日、イーハトーブ病院から父の様態が悪化したとの連絡が入り急遽、花巻へ向かいました。僅か1ヶ月でこんなに変わるかというほど、呼吸困難の状態でした。2泊して22日の日曜日に横浜に戻りましたが、危険な状態だと認識はしていました。
そして、1月30日(月)病院から再度連絡が入り、いつどうなるか分からない状態だと聞かされました。1月30日夜から病院に向かい、31日から家族で付き添うことになりました。今日か明日か、そんな日々が続きました。毎晩泊まる宿もその日暮らしで、近くの温泉宿(近くには温泉宿しかない)に日替わりで宿泊した次第でした。
父の呼吸状態は日に日に悪化しており、それでも最後の時まで必死に頑張っていました。私は心の中で、もう頑張らなくて良いよと叫んでいました。
そして運命の日、2月3日を迎えるのでした。我々家族も疲れてはいました。数日間におよぶ付き添いと、いざという時の喪服の用意などもあり、妹と姪は、今日いったん川崎の自宅に帰ることになりました。16時くらいの新幹線に乗れるよう新花巻の駅まで送っていきましたが、その帰り道、私の携帯に病院から電話連絡がありました。「すぐ来て下さい」「いま向かっています」急いで病院に戻りましたが、心電図はかすかに動いているものの、すでに亡くなっている状態でした。最期の時に看取れなかったという思いが去来しました。2月3日(金)午後5時20分臨終。
遺体は病院に安置出来ないとのことでしたので、急遽、安置と搬送だけを頼める盛岡の葬儀業者を探して手配し、後は父の持ち物などを整理して、今日のこの日、2月3日は過ぎていきました。
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Author:ken
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